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華道「新池坊」は創流1910年。 花を愛し花と語り合う・・・。
初代家元、一ノ瀬槌衛(号)五畝軒 梅萼は医者であり旧門司市(現:北九州市門司区)にある日本セメントの嘱託医として白木崎に病院を経営、側ら趣味の華道を精進、当時、池坊の華務局長まちがいなしと言われるくらいの地位にありました。
当時の華道界の教えは、秘伝、口伝といった秘密主義で、書物も変形文字等、一般の人には解らないものが多かったので、大変進歩的な考えの五畝軒梅萼は、だれにでも解る書物でなくてはならないと、今でいう「翻訳」をし、家元へこの書物の出版を依頼したところ、大変なお叱りを受け、聞き入れてもらえなかったそうです。
その時、初代と共に研鑽に励んでいた弟子たちの中にも、進歩的な考えの知識人が多く、当時の流が公開した考えができないのなら、別派を開き、大衆の「いけばな」にしなくてはとの賛同があり、「いけばな」は広く大衆のものであるとの信念で創流された流派です。
この時に翻訳されたのが、皆様ご存知の「生華紳書」で、この書は明治天皇・皇后両陛下天覧の栄誉に浴し、当流の教理となっています。
ひとりひとりの感性を当流の華道理論に基づいて大切にする
初代家元の信念でもあり、遺言でもある、「芸事は一部の人間の指導になりだしたら、芸の幅はなくなる、集まった会員がみんなで切磋琢磨し研究成果を新しい会員に継承し、また、その会員が継承していけば、常に時代を捕らえた新しい作品、また、良い作品は時代が変わっても継承されてゆく」との考え方が流是となっております。